2021/03/13

明治四年一月二十三日 (1871/3/13)

「晴れ。山縣狂介(有朋)と熊野一郎が到着した。両者とも此度の変を聞き、私同様、深く嘆いていた。河野亀太郎が私を訪ね、浪華からやって来た。三条公、野村、藤井宛の手紙を書き、杉に託した。その他、幾つかの案件に関する私の愚考を伝えておいた。河村大丞が訪ねて来た。杉は、四時過ぎに乗艦。今朝、安場逸平と大田区露岩太が訪ねて来た。山縣と一緒に港に到着した鳥尾小彌太も訪ねて来た。」

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鳥尾、山縣そして三浦の三人はみな奇兵隊以来の付き合いで、私は三人とも仲良くしていたのだが、お互いとの関係性は複雑なものであったようだ。鳥尾も三浦もヤンチャ坊主気質で、山縣より十歳ほど年少であったにも関わらず、彼の藩閥政治に反発、対立していた。だがそれも仕事や主義上の話であり、人間としてはお互いを深く尊敬・信頼していたらしく、晩年まで交友があり、死を前にした鳥尾も山縣も、三浦に家族や後事を託したという



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...