「穏やかな天気。宮本、三好、河野に請われ、一緒に蒸気船で浪華に移動。山縣も同船しており、船内では馬渡にも会った。十時に神戸で錨を上げ、十二時には浪華に到着。上陸地には護衛の兵隊達が既に待機していた――電信とは優れものだ。常安邸に一泊。山田、松本、佐々木、その他大勢の来客。松本と佐々木は私を訪ね神戸に来る予定であったらしい。山田は私宛の手紙を持ってきた。記、山縣も訪ねて来た。山田に近情を説明し、有志達が分裂せず国家統一の土台を確立できることを祈っていると伝えた。今日、プロイセンの青木周蔵からの手紙を受け取った。」
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電信は明治の技術革新の中でも最も重要なものの一つであった。1844年のモールス氏の実験成功から、電信は驚異的な早さで世界中に広がり、十年と経たぬ1851年には既に世界初の海底ケーブルが英国と欧州を繋いでいた。佐久間象山等、先見の明ある人々はこの技術のことを知っていたが、日本は国として完全に出遅れており、電信設置は新政府の緊急課題の一つであった。我々は御雇い外国人達や国際的な協力者に恵まれ、この年、明治四年には上海やウラジオストクへの海底ケーブルを通じて、電信で世界と繋がることに成功した
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