2021/03/18

明治四年一月二十八日 (1871/3/18)

「曇り、午後に少し晴れ。昨夜と今日、私は柏村と高杉の両参事宛の手紙を書き上げた。内容としては、一つには血気盛んな若者達に関する愚案、一つにはお雇い外国人に説諭すべし内容、一つには有能な人材は出自に関係なく下層の人間でも取り立てるべしという考え、一つには若者達の望みを絶つのは好ましくないという考え、一つには下役人を雇う際には大目的について理解ある人間を選ばないと新しい法や制度の理解が足りず市民を混乱させてしまう等々、徒然の考えを両参事宛の手紙に記し、今日帰藩する予定の宮木に託した。プロイセン人も今日長州に向かう予定のようだ。彼とは宿で一度、東京公使館でも一度会っている。殿川も一緒に帰藩の予定だ。雲揚丸は今夜二時に錨を上げるという。フランスとプロイセンの停戦が報じられているが、フランス南部はまだ降伏していないそうだ。夜、山縣と長門屋が話しに来た。十二時過ぎに三好一行が戻ってきた。」

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...