2021/03/29

明治四年二月九日 (1871/3/29)

「晴れ。三条公と岩倉公が、昨日の建言の主意と、私の真意を尋ねにお越しになられた。三条公が山口藩建白についてお話をされるにつれ、私は自分の深情をご説明差し上げなくてはならないと感じた。六時前、廣澤の家に位牌を拝みに向かった。この悲痛は実に耐え難い。位牌を目の前にしても、彼が死んだとはまだ信じられない。河瀬が泊りに来た。」

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一体誰が何の目的で廣澤に手をかけたのか、必ず見つけるようにと天皇陛下が御命じになられ、厳重な調査が行われた。ポリスは一時、家令と妾が怪しいということで逮捕したものの、裁判の結果彼等は無罪放免となり、結局、暗殺の下手人は分からずじまいであった。私はその後も調査を続けるよう強く主張したのだが、やはり異人が害された時とは違い、この調査も次第に尻すぼみになってしまい、未だに真相は不明だ……

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...