2021/04/10

明治四年二月二十一日 (1871/4/10)

 「曇り。大島似水が来た。三吉慎蔵も話しに来た。長府の知事公に拝謁し、彼の方の御学問についてお話した。この一件について、私は杉山耕太郎の代わりに加藤弘蔵に託すことにして、事細かに指示をしておいた。二時過ぎに小原鉄心が訪ねてきた。岩国の人と会う約束をしていたので、それで宍戸と共に有明楼に向かった。十時に両国橋で下船し、人力車に乗って家まで帰った。東京に人力車が来て以来、私が乗るのは今回が初めてだ。宍戸も別の人力車に乗って帰った。有明楼を出た後、土佐の容堂公を訪ねたが外出中であった。」

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人力車は一年前の明治三年に和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎の三名が発明製造したのが始まりだとされている。彼等は専売特許を得ようとしたが、これは上手くいかず、私がこうして明治四年に乗ったころには既に大量の業者が人力車事業に参入した後であった。人力車は世界に誇っても良い、見事な日本の発明であり、香港やインドなどアジア圏に展開しただけでなく、英語圏ではRickshawという日本語由来の名で知れわたることになる



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...