2021/04/30

明治四年三月十一日 (1871/4/30)

「晴れ。十時に杉を訪ね、一旦宿に戻った。山田と会う約束をしていたので、三輪惣のところに行き、ベルリンと面会、食事を共にし、彼から二三の新しい報せを聞いた。四時過ぎに湯田で温泉に浸かり、五時に糸米の旧宅に帰った。」

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ベルリンは山口藩の雇った外国人で、プロイセンの出の人間だ。彼は山口中学に語学教師として招聘されたのだが、この山口中学というのは幕末の明倫館を改名したもので、中学と呼ばれていはいたが、どちらかと言うと高等教育に近かった。我々はこの翌年、英人ダルネー夫妻も語学教師として招いている。

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...