2021/05/01

明治四年三月十二日 (1871/5/1)

「晴れ。朝より来客多し。福原三蔵と三好軍太郎も来た。文平も来て、幾種かの桜と楓を植えた。三輪惣も来て、昨日の朱壇の壺と、草花の描かれたお盆を持って来た。十一時に藩廟に向かい、知事公に拝謁した。従来の卒を廃止し士族と卒を統合するとの発表が為された。知事公自らがこの決断を官員へとお伝えになられた。四時前に退出。今夜は三好軍太郎との約束があったので、大津と共に物産方を通って、萬代屋へ、そして三好のところへと向かった。東風が強烈であった。野村、久保、山田、佐藤、中村、その他数名の客がいた。雨が降る中、八時過ぎに帰宅 。帰り際に坪井を訪ね、中村屋に泊まった。今朝、深川、大谷と……が来た。」

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三好軍太郎(重臣)は奇兵隊の参謀を務めていた人間で、山田や三浦と言った人物達の同輩だ。維新後も陸軍に残り、戊辰戦争や西南戦争で功績を上げ、最終的には陸軍中将として東京や熊本鎮台の司令官など重要な役割を歴任した。明治初期にはまだ、彼の様な軍人達と我々文官達は良好な関係を築いていた……



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...