2021/04/04

明治四年二月十五日 (1871/4/4)

 晴れ。終日在宅。熊本藩の大参事、安場が話しに来て、此度の山口藩の建言について、朝廷が何の手も打たず、代わりに薩長土肥に九州巡察使に同行する兵隊を拠出せよとの命を下したと聞かされた。私はこの件について、代わりに効果的な組織体制を組むことでこの目的を達成すべきだと朝廷に建言するつもりだ。地方分権による権力の分散には、皆頭を抱えさせられてきた、しかし朝廷はこの問題に対し、どう対処するかの確実な政策を未だ打ち出せていない。現状のように、各藩からの建言に頼るのは上策とは言えない。過去三百年の長きにわたり、三百超の各藩は各々が違う方法で運用してきた。二三里離れれば、人々の風習は異なり、言葉も違えば、無論行政も異なる。もし旧政府の同心同力に時勢の流れを理解させ、朝廷を助けようという気にさせられれば、この懐古的視点は自然に消滅させることが出来るであろう。だからこそ我々は目前の提案を推し進めなくてはならない。今日、山縣狂介と西郷吉之助にこの持論を展開してみたが、どうも齟齬があるようであった。安場は我々の建言が実行されないでいることに不満があったようで、私の意見を尋ねに来た。朝廷に建言するのは各藩の権利であり、その建言を取捨選択するのは朝廷の権利だと私は論じ、故に、我々は建言書を提出し意見を表明すべきだと説明した。安場はこれに満足したようであった。岩倉卿からのお手紙が届いた。」

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安場保和は面白い人間だ。熊本の出で、薩長の人間ではなかったが、西郷・大久保・私と、全く異なる三者全員の信頼を勝ち得ており、地方行政を任せられた。中でも大久保の指示の元、福島(会津)県令として安積疏水を開いたのは、彼の素晴らしい業績の一例だ。北方領土の重要性も良く理解しており、千島警護に関する提案書を提出していた程だ。彼にまつわる面白い話と言えば、岩倉使節団の一件がある。彼は使節団一行の中でも珍しい『ドロップアウト』で、米国に着くなり、英語が話せない自分が同行するのは税金の無駄遣いだと言い、さっさと帰国してしまった。中々出来ることではない



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...