2021/04/06

明治四年二月十七日 (1871/4/6)

「曇り、雨、曇り、雨、後晴れ。十時前に参朝、三時に退出。岩倉卿に幾つかの愚案を論述した。後藤雲濤(象二郎)を訪ね、長時間議論した。六時頃に帰宅。今日は、上京した岩国横道から二匹の雁を、宇和島大蔵卿から五匹の小鴨の贈り物を頂いた。韮山の岡田三郎が来た。」

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伊達宗城公は幕末四賢侯の一人なのだが、他の御三方と比べどうも知名度が低い気がする。だが公が傑物であったのは間違いなく、二十代半ばで宇和島藩の家督を継ぐと藩政改革を推し進め、この小藩を他藩が注目するほどに近代化することに成功した。大村益次郎を含め有能な人材確保に尽力し、パークスやサトウなど外国人とも積極的に交流したうえに、果てには外国人技師の協力なし独力で蒸気船まで作ってしまったのだから痛快な話だ。維新後にも新政府に関与し、短い期間ではあったがこの当時は大蔵卿と民部卿を兼任していた。この日頂戴した小鴨は大層美味であった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...