2021/05/02

明治四年三月十三日 (1871/5/2)

「晴れ。野村靖之助が来た。今日は友の勧めで、馬関招魂祭に行く約束をしていた。また、とある長府の人間と会いたかったため、十一時頃、三好と共に三田尻に向かった。貞永を訪ね、彼の家に泊まった。夜、藤松、多之助、同町が話しに来た。三好は山城屋に泊まった。」

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野村は松下村塾の一員で、特に俊輔と仲が良かった。例にもれず松陰先生に傾倒しており、イギリス公使館の焼き討ち、第二次長州征伐での戦いなどに参加した。明治四十年に、松陰神社を建てるために俊輔と一緒に奔走してくれたのも彼だ。ちなみに俊輔の最初の妻は野村の妹のすみ子さんであった。俊輔はイギリスに渡航したり国事に奔走したりと何かと忙しく、そうこうしている内に梅子さんに出会い、すみ子さんと離縁することになったのだが、これがまた非常に良く出来たお人で、俊輔の御父母にもかなり気に入られており、私自身が間に入り離縁の説得をせねばならなかった



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...