「曇り。五時過ぎに御老公が遂に御隠れになられた。この悲痛は言葉に出来ない。家督をお継ぎになられてから三十七年間、御老公は皇国内外の統治に御苦心なされ、その功績は寸紙には記しきれない。御老公は政府の御柱であり、石江家の復興を成し遂げられたお方だ。今日、この死が世間に報じられれば、その影響は万事に及び、人心に動揺を引き起こしてしまうのではないかと不安だ。知事公が御葬式の指示を出された。私は十一時前に退出し、四時頃に再び戻ってきたが、その頃には、皆退出した後であった。帰り道で柏村に会った。その後山縣の所に行き、九時前に帰宅。今日、宍戸敬宇と山縣素狂(有朋)からの手紙が届いた。素狂の手紙には、東京で行われている厳重な取り締まりの詳細が記されていた。」
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今日、松平公、伊達公、山内公、島津公は『四賢候』と呼ばれている。一方の御老公は未だに『そうせい侯』なる陰口を叩かれている……誠に嘆かわしい。常に主君として責任を背負い、有能な人材を登用した御老公は、常に誰が何と言おうとも、私にとって一番の賢候だ
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