2021/05/18

明治四年三月二十九日 (1871/5/18)

「晴れ。奥平二水と北川清介が訪ねて来た。重見二郎兵衛も来た。十時過ぎに藩廟に出仕し、同僚達と共に御老公の遺言を綴った。また御寝所の御遺体に手を合わせた。誠に耐え難い喪失だ。四時に退出し、御墓地を巡察し、五時過ぎに帰宅。今日は、廣澤謙蔵と従者が故、障岳(広沢真臣)の頭髪を持参する予定であったので、私は廣澤の家へと向かった。大津と柏村も既に来ていて、一行は八時頃に到着した。九時頃に帰宅。今日は終日、御老公を想い、友を想い、ただひたすらに悲しく、嘆きの涙を流す外ならなかった。この心情は筆舌に尽くし難い。」

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香山に位置する毛利家墓所は御老公や、知事公(元徳)、知事公の御子息など、主に幕末・明治以降の毛利家の墓地だ。この墓地の静謐な空気は、動乱期を生き抜かれた御老公にお休み頂く上で非常に好ましい……



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...