「晴れ。強烈な西風のせいで、丙寅艦は昨夜の内に到着出来なかった。一日中全くすることがなく、詰まらなかった。半雲の僧侶が来訪し、私は彼に野草の半切を贈った。昨冬には、この僧侶によく似た趙スンの作を一幅貸していたのであった。私はこの一作に小さな印を押した。藤松も訪ねて来た。三時過ぎに、三好、野村、杉山と河野も来た。夜には、山根秀策が話しに来た。十二時頃に解散 ― その後、丙寅艦が到着したとの報せが届いた。妹の治子と、妻の松子も到着した。峯平吉達が、貞永のところまで私を探しに来た。」
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東行は第二次長州征伐の直前に長崎まで出向き、グラバーから軍艦を購入した。藩に無断でだ。彼はこれにオテントサマ丸と名付けたが、これが1866年、干支が丙寅であったこともあり、この艦は後に丙寅丸と改名された。東行は当艦を巧みに操り、幕府艦隊を相手に奇襲をしかけ、大勝を収めた
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