2021/05/23

明治四年四月五日 (1871/5/23)

「朝晴れ、後曇り。詩、野田邸門の桜を眺めていると、若葉の上に露が見えた――その儚さに我々は涙する――唯雪。大津、坪井と奥平が訪ねて来た。山縣も来て、我々は数時間話した。二時過ぎに解散。阿部平を訪ね、三輪惣宅に向かい、書物と石灯篭を見物。四時前に帰宅。」

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大津唯雪は元の名を村田次郎三郎と言う。彼の父君は、御老公がまだ二十歳の頃に藩政を任され、天保の大改革を成し遂げられた、村田清風だ。この改革のお陰で我が藩は財政は立て直し、明倫館を拡大することで人材育成に注力した。彼無しには幕末に長州が活躍することは叶わなかったもしれない



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...