「朝晴れ、後曇り。詩、野田邸門の桜を眺めていると、若葉の上に露が見えた――その儚さに我々は涙する――唯雪。大津、坪井と奥平が訪ねて来た。山縣も来て、我々は数時間話した。二時過ぎに解散。阿部平を訪ね、三輪惣宅に向かい、書物と石灯篭を見物。四時前に帰宅。」
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大津唯雪は元の名を村田次郎三郎と言う。彼の父君は、御老公がまだ二十歳の頃に藩政を任され、天保の大改革を成し遂げられた、村田清風だ。この改革のお陰で我が藩は財政は立て直し、明倫館を拡大することで人材育成に注力した。彼無しには幕末に長州が活躍することは叶わなかったもしれない
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