2021/05/24

明治四年四月六日 (1871/5/24)

「雨。十一時に出仕。萬代屋に行き、文平と山縣を訪ねた。奥平が話しに来た。夜一時過ぎに奥平と共に中村屋に行き、一泊。記、三好が話しに来た。」

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旧友の奥平二水(謙輔)とは、当時良く一緒に過ごしていたな…… 奥平は義に厚い男で、戊辰戦争の折には会津人の友人であった秋月悌次郎に降伏勧告の手紙を送り、その際に将来有望な会津の少年達を書生として預かったりもした。その内の一人は山川浩の弟で、後に東大総長となった山川健次郎だ。だが、その奥平自身は不幸にも明治九年に前原と共に萩の乱を起こし、斬首となった…… 唯一の救いは、会津の人々が未だに彼に恩義を感じているということであろうか。友よ、安らかに眠れ



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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...