「晴れ。三好軍太郎が来た。大山格之助(綱良)宛の手紙を認め、他の手紙と併せて彼に託した。今朝、山田市之丞(顕義)が下関に向けて発った。彼とは昨夜、幾つかの手紙でやり取りをしており、諸部の大属達に徴兵論を渡すよう伝えておいた。横山源四郎が訪ねて来た。彼と最後に会ったのは五六年前だ。十数年前、西洋銃の部隊を構成した時に、私は彼を士官に任命したのであった。中島四郎と福原三蔵が来た。十時頃に忠正公(敬親)の墓参りをしてから出仕、十二時過ぎに退出。正木、岡、草刈、宗像が訪ねて来た。月明りを頼りに、草刈と湯田まで歩き、瓦屋に一泊。」
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大山綱吉は大久保と西郷の同郷の士で、精忠組仲間だ。薬丸自顕流の達人でもあり、弥九郎先生の道場の先代塾頭と立ち会った経験もある。同じ剣豪として、また薩長同盟での調印に立ち会った相手として彼を評価したいのは山々だが……後に県令の立場にありながら新政府を蔑ろにし、租税を収めず、また西郷の蜂起に資金援助をしたのは、許し難い罪だ。明治四年時点ですら、日田事件でのも新政府の命を無視して独自の方法で問題を解決するなど、その兆候は見え始めていた……
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