2021/06/16

明治四年四月二十九日 (1871/6/16)

 「晴れ。山根、藤本、笠井が来た。寺内弥二郎翁も来られた。十時前に発ち、豊原の磯部吉蔵の所で昼食を取った。宮口清十郎が見送りに来て、井上半三郎と飯田剛蔵も会いに来た。三隅と宗頭の間で突然の雨に見舞われ、全身ずぶぬれになってしまった。五時過ぎに玉江に入り、前田の所で小休憩。天樹院山へと墓参りに向かい、山縣吉之助を訪ね、和田家で先祖代々の位牌を拝み、鹿島に宿泊した。奥平数馬父子、草刈八十八が来た。久保弾三からの公書、岩倉公からの手紙二通、三条岩倉両公の署名の入った手紙一通、そして大久保参議、野村素介、長松小辨からの手紙も届いた。記、今日二十九日、沢口で飛脚に会い、杉権大参事からの手紙を受け取った。中には、勅使一行への指令の写しが同封されていた。一つ、従二位の御老公逝去につき、堀川侍従を勅使として差し向ける。一つ、同上につき、知事公へと御菓子を贈る。一つ、同上につき、今回この任を命じられた堀川を通じて贈位する。一つ、同上につき、堀川は代理として神々への捧げものを行う。一つ、亡き従二位公の三十日忌の後、山口藩知事公は東京へと戻ること。詳細については追って通達する。一つ、亡き公臨終の際の建言について。一つ、木戸の早期東京帰還について。一つ、勅使一行は客館末家へと受け入れられること。一つ、藩の役人達はこの指令や贈り物を受け取った後、各種手配を行い、知事公へとこの指令をお渡しすること。」

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明治四年五月十三日 (1871/6/30)

「晴れ。十一時頃に一時の豪雨と雷鳴。安玄佐とその倅が来た。井上世外が話しに来た。先日話した藩の会計局の一件や、その他の件の評議は先延ばしにされたようだ。十年後に待ち受けている大いなる災いが見えている者達はほんの一握りしかいなく、多くの役人達は目の前の問題に対応するのみだ。私はこの...